理想の子ども像を持たない

 保育園や学校、その他教育施設において、「理想の子ども像」や「○○な子どもを育てる」など、行政や経営者の願いがこめられたイメージが掲げられていることは多いです。でもこれを前向きに考えれば考えるほど、なりたくてもそうなれない子どものことが脳裏に浮かび、大人たちは良かれと思って残酷なことをしているのではと感じるようになりました。
 元気になりたくてもなれない子はいます。周りに優しくしたくてもできない子もいます。勉強を頑張りたくてもそれどころではない子もいます。本人の努力だけの問題ではなく、環境を変えなければ動けない子どもたちは沢山います。そういう子どもたちが、他人(大人)が掲げた理想に近づこうと頑張ったとして、いつか幸せになれるでしょうか?理想に向かっていけない子どもは「問題児」「困った子ども」「落ちこぼれ」なのでしょうか?

 理想は理想。そのイメージに近づくことはできるかもしれませんが、理想を実現した姿は一つに決まりません。一人一人違います。「この子は実現している」「この子はしていない」と客観的な指標で判断できるものでもありません。仮に実現できたとしても、人間は自然な生き物なので、いくらでも変わる可能性があります。

 理想は子どもの数だけあって良いと思います。その子がその子らしく、否定されずにいられることが理想です。なのでどんなに美しく見えても、特定の子ども像を理想として掲げることには抵抗があります。