魔法

①「魔法」を見せる

 目の前で起こった現象を「魔法のようだ」と形容することがあります。魔法を信じていなくても、因果関係が分からなかったり、技術的に不可能と思われていたことが可能になっていたりすると、そう言いたくなります。不思議で仕方ない気持ちになります。人間は年齢を重ねるうちにいつの間にか魔法を信じなくなりますが(魔法に見えるけれど絶対にトリックがあると考えるようになる)、子どものうちは魔法を信じていることも多いです。
 子どもの頃に「魔法のようだ」と感じるほどのインパクトのある体験をすることは、その後の成長にとって大切なことだと思っています。好奇心の種が植えられ、なぜだろう?どうしたら自分にもできるだろう?と考えるきっかけになります。少しずつ学習を重ねるうちに自然と種明かしされていくことは多いですが、その時の快感は、”魔法”を目にしたことのある人の方が大きいのではないでしょうか。「そういうことだったのか!」という自分にしか味わえない快感があります。
 また、高度な技術に支えられて魔法のように見えることというのは、形にするのに大変な労力(コスト)を必要とします。テーブルマジックやチャットAIなどが良い例です。「魔法ではなくトリックがあるのだ」と知ることが第一段階とすると、それを自分でもやってみようとトライすることは学習の第二段階と言えます。ここで、多くの人はつまずくことになります。こんなに大変なことをいとも簡単そうにやってのけるなんてすごい、と他者へのリスペクトに繋がると私は思っています。
 現実世界に魔法なんてない、という前提で生きるよりも、「魔法みたい」なことを追求できると、人生はより豊かになるのではないでしょうか。

②変身の魔法

 ファンタジーの世界には、変身の魔法があります。呪文を唱えたり道具を使ったりすると姿形を変えられますが、魔法使いなら誰でもできるかというとそうではなく、見習い魔法使いが一生懸命練習する場面が出てくることもあります。
 昨年(2022年)のことですが、「これだ!この感覚が掴めれば、魔法の世界なら変身できるのだ!」と急に雷が落ちたような衝撃を覚えた瞬間がありました。「相手を尊重するとはどういうことか」「共感するとはどういうことか」「相手の立場に立つとはどういうことか」などずっと一人で考えていた時のことでした。その答えは、「魔法が使えたとしたら変身できる状態になれれば良い」だと思いました。他人に対する説明にはなっていませんが、自分の中では十分な答えでした。
 思い返すと、真に相手の立場に立てている、尊重できている、と思える瞬間というのが時々あったのです(いつもできれば良いのですが、私はそんな聖人のような人間ではありません)。あれは自分の錯覚などではなかったと思います。自分自身を保ちながらも、同時に相手に乗り移っているような、逆に乗り移られているような感覚です。
 一度この感覚を認識できると、今度は自分から意識してこの状態に持っていこうとすることができます。まさに魔法の練習です。どんなに集中して相手を観察しても、コミュニケーションをとっても、なかなか「今なら変身できる!」という感覚にはなりません。でも少なくとも、相手を自分の思い通りにしようとか、無理に変えようとか、そういう独善的な気持ちにはなりません。”今ここ”にフォーカスしながらも、リラックスした心地よい時間だと思います。
 私は小さい頃からファンタジーが大好きで、今でも気に入った作品は読み返すことがありますが、最近はよくこの変身の魔法のことを考えます。「変身の魔法が使えるようになるような気持ちで」なんて保育や教育のテキストには絶対に書かれることはないと思いますが、自分が現場に入る時には心がけるようにしています。

2023.1.12