「AするとBだよ」という声かけの本質を考える

 日本だけでなく世界中で当たり前に使われているであろう「AするとBだよ」という子どもへの声かけは、本質を見つめると世界観そのものがあらわになって面白いです。大人の思い込みは根深いので、注意が必要なのではと思います。

①因果関係パターン

 子どもの行動を見て、大人は「走ると転ぶよ」「それ以上重ねても倒れるよ」など、注意や助言の意味を込めて声をかけることがあります。大人は因果関係を知っているからです。子どもは知らないので、いくら言ってもやります。そして失敗します。そしてまた繰り返します。それは子ども自身の成長のためには絶対に必要なことです。何でも自分でやってみないと分からないのです。(大人も同じです。)

 「AするとBだよ」という大人の声かけは、もしかしたらなくても良いのかもしれません。よほど命の危険につながるような時だけ強制終了させられるように見守っていれば、あとは子どものやりたいようにやって良いし、黙って見ていると大人もあっと驚くことをするので純粋に面白いです。危ないと思うことも、「かもしれない」だけで、案外本当に危ない事態にはならず、気づいたら危なくないように子ども自身ができるようになっている、ということもあります。それに多少のケガなどは必要悪で、それで子どもが「次からこうしたらいい」と考えるきっかけになるので良いのです。

 つい口から出そうになる言葉を、これ本当に言う必要あるかな?と一度飲み込んで考えてみることは大切なことだと思います。子どもの成長にとっては、失敗もケガも全てプラスになります。これから起こることに対して勝手な見通しを立てない方が、互いに成長できる気がします。

②脅迫パターン

 また、「ご飯残すとデザートあげないよ」「宿題やらないと日曜日遊べないよ」「悪いことするとサンタさん来ないよ」など、因果関係も実はよく分からないような脅迫的な言い方にはもっと気をつけないといけないと思います。家庭や教育現場それぞれのルールがあって、そのルールを守らないといけない、という教育スタイル自体を否定するわけではありませんが、そもそもそのルールは適正なのか?根拠は?一貫性はあるか?(大人の気分でルールを変えていないか?)子どもも受け入れているルールなのか?など、よくよく考えないと、子どもは混乱します。一方的な大人の都合でその場を収めようとするような物言いは、子どもには通用しません。長い目で見ると、子どもの素直な成長が阻害されることに繋がりかねません。

 子どもが全く言うことを聞かない、という時は、もしかしたらこんな物言いをしていて、こちらが変わる必要があるのかもしれません。

 上の①因果関係と②脅迫は、いつもどちらかに分けられるというわけではなく、どちらも含んでいるようなパターンもあると思います。とにかく「○○すると○○」「○○しないと○○」という言い方には注意が必要で、特に咄嗟に口から出す場合は、後から反省した方が良いことも多そうです。